高専だより
令和5年3月掲載号
学校長挨拶
お別れのご挨拶:高専の人材育成について思うこと・・・
茨城高専で3年間校長を勤めさせて頂いた米倉達広です。この場を借りて皆様にお別れのご挨拶を申し上げます。3年前に本校に着任が決まったときには、私の専門でもあるAI、DXやVR(メタバース)の魅力を少しでも本校に根付かせたい想いでした。確かに現在では日常会話に幾度となく登場するDXやVRというキーワードですが、それが現実世界にどう結びつくか、当時まだ混沌としていました。
さて、いざ着任してみると、事実は小説より奇なり、考えていたDXやAIの教育どころではない状況でした。高専の運営はいたるところ課題だらけ。学生達の勉学モチベーションの多様化、教員達の研究・教育・校務への疲労感と閉塞感、加えてコロナ禍に突入したばかりで、様々な事業でのブレーキとアクセルの加減すら不透明で先の見えない学校運営・・・さてどこから手を付けて良いやら・・・
そんな中で最初に考えたのは本校のイメージ戦略です。本校は高専のなかでも学力はやや上位、教員の研究力も高専全体のなかでまずまずの位置付け、然るに地域にあまり知られていないのは何故?これが最初の宿題でした。
そこでまず、コロナ禍突入時の令和2年4月下旬に、県内教育機関ではいち早く、ほぼ全ての授業のオンライン化に踏み切りました。また、そのことが学外からの「見える化」に繋がるであろうと思い立ち、同月24日にオンライン授業開始というニュースを地元ラジオ局や茨城新聞に取上げて頂きました。これはとても大事なことです。「社会に知られていないのは、やっていないのと同じ」マーケティングをかじったことがあるなら、誰もが良く聞くフレーズです。
まずは本校で実施していることを広く世間に知らしめたい、との想いで次は同年9月に広報戦略室を立ち上げました。といっても素人だけでは立ち行かないので、広告・広報の専門家を募集し、見事採用することができました。同時にひたちなか市や大洗町の教育委員会と何度かお話ししているうちに、その年の4月に義務教育化した、小学校のプログラミング教育の支援活動は地域社会から求められている重要課題であると気付きました。それなら一挙両得、地域の小学校に出前授業して、それを広報のネタにしちゃえ!ということで小学校のプログラミング教育支援に乗り出しました。
そんなこんなで、広報戦略室が機能し始めると、次の課題は地域連携力の強化です。この地域にはとても魅力のある企業や団体が沢山あります。そこでまずは市の商工会議所と手を組んで、地元企業との関係を構築していくぞ、と考えたのですが残念ながら地元企業とパイプを持つ教員は居ても、それぞれただ単に共同研究で繋がるのみで、教育や人材育成での連携はほぼ皆無な状態でした。そこで、地域企業に精通していて学生の就職支援もできる専門家を募集し、これまた無事に令和3年4月に採用できました。
次に地域連携センターを機能強化し、地域企業との関係の再構築に踏み切りました。地域の優良企業との月例・円卓・ブレーンストーミング会合である「高専ティーサロン」の立ち上げ、専攻科生の「課題解決型インターンシップ」MIPPEプログラムの開始と、これら教員のお陰で地域社会との関係構築がどんどん奏功しはじめました。少しずつですが、本校が「見える化」した、との声を頂くことが着実に増えてきました。
こうなると次はいよいよ本丸である、学生のモチベーションアップの方策です。本校では、皆さんご存知の通り1年次は学年全体で一般・共通教育、2年次に系選択をして各系に配属されてから専門の勉強とキャリアの積み上げをします。この際に、希望する系に漏れてしまう学生のケアやモチベーション維持をどうするか、そして将来の自分のキャリアをどう指向させていくか、この5年間のプロセスをどうケアしていくか、これらが全く手つかずの状態だったわけです。
そこで第3の改革は、キャリア支援室の設立です。令和3年10月にキャリア支援室の準備のための専門チームを創り、半年かけて課題を整理し、令和4年4月にキャリア支援室が稼働しました。支援室では、5年一貫キャリア教育の設計から、就職、進学、海外インターンシップ、留学のお手伝いまで、凡そ進路支援に関することは何でも賄います。設立後、半年で200名弱の学生が利用しています。学生達や保護者の皆さんの反応もとても上々です。
令和5年2月にはこのお披露目を兼ね、地元の高級ホテルで「企業研究会(見学会)」を実施しました。大手企業と地域企業合わせて37社、学生190名弱、保護者10名の方々にお越し頂き、皆さまからご満足の声を頂きました。これから2年目を迎える支援室、学生や保護者からもっともっと愛される存在になるでしょう。
そして第4の改革はグローバル高専の再構築です。本校は平成28年にグローバル高専が開始されて6年が経過しますが、開始当初から高専執行部とグローバル教育部隊は、少し距離を置く関係になっていました。これまでの組織運営のなかにいきなりグローバル教育センターが設立したので円滑な連携が取り難かったのです。そこで昨年10月にグローバル教育センターの組織を一新し、新しいスタッフを入れ教務やキャリア支援室との連携のカタチを整え国際教育体制を整えました。令和5年度はぜひ期待して下さい。
こうして私はコロナ禍の到来とともに赴任してきたのですが、学生、保護者の皆様に今一度申し上げたいのは、絶えず変化を恐れないで欲しい、ということです。いまや情報が瞬時のうちに世界を駆け巡る時代です。最近10年間で、AIとIoTが私たちの市民社会にどんどん浸透してきました。この流れは、業務の自動化や合理化のみならず、物流の仕組み、都市インフラの有り様、情報サービスを含めた産業構造そのものの進化を加速しています。今回のコロナ禍で、オンラインの教育や仕事が急増したのがその好例です。
今後AIとIoTが更に進化すればより膨大な情報が溢れ、それが時々刻々生み出す情報は人類のアテンション(関心)の集合全体をはるかに超える事態になります。するとどうなるか。いよいよ「ヒトが誰も知らない知識をAIだけが知っている」という奇妙な世界が間違いなく訪れます。有史以来、人類が経験していないことが次々に起きます。ヒトがAIに支配される時代が来る?それもAIの利活用方法を一歩間違えると十分あり得るストーリーなのです。私たちはそういった、いわば歴史の転換期に生きています。そんな時代を迎える次世代技術者への期待は、リスクを恐れずAIやIoTの進化を正しい方向に向け続けることです。
そのために社会の課題を自らの目で探り確認し、一方でAIやIoTの方法論を正しく理解し、更にその正しい利用方法を習得し、最後に正しく社会実装する、というマインドセット(物事の捉え方)を持つことです。社会性、倫理観や道徳心の高さを維持できるしくみが必要です。原子核エネルギーの発見が核爆弾につながってしまったのはその逆の事例です。このようなことがAIの進化で起きないように、人類が自らを戒める心とそのための教育が必要です。そのためには、地域社会に愛情を持って接し、それに対する十分な関心を維持し、現実世界の課題を解決する目的で必要な技術を磨くことであると言えます。
今後の技術者を育成する高専では、このことを肝に銘じて学生と接して欲しいと思います。社会を正しい方向に向けるべく、社会をよく知り、世界最高レベルの先端技術を活用できるような人材を一人でも多く育てる。この人材育成の基本を改めて痛感します。私自身今後は外の世界から茨城高専の発展に寄与していきたいと存じます。皆様の日頃のご支援とご協力に深く感謝し、お別れの言葉とさせて頂きます。
退職者挨拶
一般教養部 河原 永明
長いようで短かった35年
今年3月末をもって、定年を迎えることになりました。昭和63年(1988年)4月に採用になり、35年間勤務をさせていただきました。35年というと長い年月ですが、振り返ってみると思いのほか早く過ぎ去ったなというのが正直な感想です。
高専での35年間を思い返してみると、科学技術の発展には驚くばかりです。しかし、科学技術の発展は生活の利便性を高めましたが、負の側面も明らかになってきていると思います。技術を使うのではなく、技術に使われるということがあってはならないと思います。
末筆ながら、在職中お世話になりました教職員の方々、学生諸君のご多幸をお祈り申し上げます。35年間大変お世話になりました。
機械・制御系 荒川 臣司
33年間を振り返って
1990年(H2)4月に赴任して以来33年間本校に勤務することができました。たいへんお世話になりました。
この間、本校が時代とともにさまざまな面で変化していく様子を見てきました。その中で施設、設備の充実ぶりは驚くほどで、6号館(H5)、男子寮建替え(南友館から西友館へ H10)、女子寮(H11)、8号館(H12)、10号館(H15)など学校敷地内の建物がとても増えました。着任当時の在籍学生数1000名はわずかに増えただけで現在でもほとんど変わっていないことを考えると、施設面では本当に充実したと改めて感じます。
在校生のみなさんにはこのような恵まれた環境の中で、将来の日本を担う立派な技術者、研究者になることを目指して勉学に励んでいただきたいと思います。みなさんのこれからの飛躍をお祈り致します。
卒業生挨拶
機械・制御系5年1組 田山 瑛乙
青春を代償にして得たもの
僕は、高専に入学してから初の定期テストでその過酷さを知り、「これがあと19回もあるのか」と絶望したことを今でも覚えています。しかし、今ではその数字は0となり、5年間を乗り切った、という達成感とともに、テスト前日に夜遅くまで悪友たちと切磋琢磨していたあの頃にはもう戻れないことに少しばかりの寂寥感も感じています。
僕は低学年生の 頃、「自分はここを卒業したときに、今より少しでも成長できているのだろうか」とずっと不安でした。しかし、今では「昔と比べて色々なことができるようになった、自分は大きく成長できた」と胸を張って言えます。特に、物事に対して柔軟に考えて実行する力は他の教育機関では養えない、高専でなければ大きく伸ばすことはできないと思っています。この高専で得た力を今後の大学生活やその後に活かして、将来は幸せでハッピーなエブリデイを過ごしたいです!
機械・制御系5年2組 山田 海音
高専を駆ける
出会いに恵まれた高専生活であった。特にベンチャーラボに集まった多くの仲間たちには、感謝してもしきれない。
プログラミングどころかPCすら持っていなかった私が、ラボの潤沢な開発設備や、学年を問わぬVLLT(定期的な成果発表会)によって技術力を高め、プログラミングで様々な分野を開拓することができた。
物理シミュレーション、NHKロボコン、競技プログラミング、本当にいろいろな分野に触れた。高専の自由度の高さは、私たちをのびのびと成長させた。
4年生では、この経験をフルに活用し、数学の結び目理論とプログラミングに関する論文を発表するに至った。高専機構や技科大から賞も頂き、非常に成長できた5年間であった。友の中でも、プログラミングと登山仲間である大崎と菅野に、感謝を!
電気・電子系5年 赤尾 怜
5年間で巡り会えた多くの知識と機会と経験と
高専生活は、難しい数式を解いて実験をコツコツとし続けるだけのもの… 五年前の入学時には、そのように考えていました。卒業を控えた今、これまでを振り返れば決してそんなことはなかったと、言い切れます。
主体的に取り組む講義・実験を通して、エンジニアになるための練習を何度も経験することが出来ましたし、新しい技術にも数多く出会いました。学業以外の面でも、イベント時や長期休暇においては様々な課外活動に取り組む機会が多くあり、社会の一員になるための修行を積むことが出来ました。
茨城高専の5年間で得た成果を携えて、社会で活躍するエンジニアを目指し更に努力し続けて参ります。
情報系5年 堤 羅馬
満ち満ちた5年間
時の流れは早いもので、あっという間に高専卒業を迎えることになりました。思い返すと、たくさんの経験を積み、成長することができた5年間でした。
高専特有の英語弁論大会や高専大会、プログラミングコンテストへの参加を通して、知識力と協調性を身につけることができました。他にも海外留学や寮長など、様々な挑戦をしてきましたが、感染症拡大の影響で失われたものもありました。茨香祭や寮祭等の行事が軒並み中止となり、4年次の研修旅行もありませんでした。しかし、そんな逆境に負けず一心不乱に学びを続けた結果、第1志望であった大学への編入を決めることができました。
かけがえのない友人や先生方に出会い、素晴らしい環境や機会に恵まれ、大いに充実した高専生活でした。ありがとうございました。
化学・生物・環境系5年 金井 駿介
夢に向かって
ゲームに明け暮れ、宿題もまともにださなかった中学3年生の私は、祖母ががんで亡くなったことをきっかけにがん治療の研究者になりたいという夢ができました。研究者になるためには大学に行く必要があると知り、少ない教科数で大学に編入できる高専を第一志望に決めました。それから必死に勉強し、10月の時点でE判定だった高専に合格することができました。
高専入学後は、中学時代に勉強を怠り苦労したことを反省して、2年生の春休みから編入に向けた勉強を始めました。その甲斐もあり、最先端のがん治療の研究を行っている大学への進学が決まりました。夢を叶えるために大学での研究生活を充実させたいと思います。後輩の皆さんには、高専生活を楽しみながらも夢や目標に向かって頑張ってほしいです。
最後に、5年間お世話になった先生方、友人に感謝致します。
情報系5年 カモンパット インタウォン
出会い・経験・思い出
春の訪れを感じる今、私は5年間の高専生活を終え、卒業を迎えることとなりました。来年からはまた茨城高専で専攻科に進学するのですが、新たな進路へ向かって一歩を踏み出せることができ、大変嬉しく思っています。
私が初めて高専に来たのは1年生の時で、15歳で母国のタイを離れ、日本語もわからないまま入学しました。最初は学校に慣れるのに必死でしたが、周りの先生や友達の助けのおかげで、信じられない程の楽しい高専生活を送れています。仲間たちと青春を経験したり、先生の指導のもとで様々なことに挑戦をしたり、好きなことがたくさんできました。
思い起こせば、本当に忘れられない素敵な思い出でいっぱいな5年間でした。私にとって、高専生活は多くの人との出会い、多くの経験、多くの感謝に満ち溢れたものなのです。
化学・生物・環境系5年 チャンティアングリッティン
ありがとうございます
“All good things must come to an end”。この記事を書こうとすると、私の頭にはこの言葉が浮かんできた。もうそろそろ卒業すると考えると、何故か悲しく感じてしまって、日本語に自信はあったが、この記事を書くための言葉が中々出てこない。高専に編入してから3年間が経ち、私は色々なことを学び、色々な人と出会い、色々な経験を積んできた。
振り返ってみると、楽しいことがあれば、辛いこともあった。しかし、その辛いことでさえ、今になると楽しく語れそうだ。留学すると決めた時に、私は不安を抱えていたが、助けてくれた友人たちや心配してくれた先生方や一緒に過ごしてきた先輩と後輩たちのみんなのおかげで、今の私はその選択が正解だったと思えた。みなさん、この3年間本当にありがとうございました。
化学・生物・環境系5年 ジュイジョンラックスナンター
日本での5年間の高専生活
「日本に留学する!」私にとって人生の大きな一歩でした。私は、2018年に タイから日本の茨城高専に入学しました。自己紹介ができないほど日本語がわからなかった私がいきなり日本語で授業を受けるのは大変なことでした。入学してしばらくの間は授業がわからない、日本語がわからない、英語が通じないなどの問題があり大変な時期でしたが、先生や周りの友達から助けられたおかげで乗り越えることができました。
高専では、ほかで体験できない卒業研究などがあります。卒業研究は授業で学んだ知識で問題を解決し、学んだことをより深く理解できます。これまで学んだことを総動員して研究に取り組むため、高専生活での経験が研究に繋がり、いままでの授業などで無駄なことは一つも無かったんだなと気づきました。これからも高専で今まで学んだことを応用し、頑張っていきたいと思います。
最後に、5年間お世話になった先生、友人、全ての方々に心から感謝します。
電気電子工学コース2年 瀬尾 拓未
7年間を振り返り
高専に入学して早7年が経過しました。勉学に身を置くものの自由奔放の日々を過ごせたと思います。併せてたくさんの良い先生、 友達、 機会に恵まれました。特別実験では、地域企業の課題解決やPR動画の制作といった座学では味わえない体験をできました。
研究生活においては、専攻科在学の間に大きく成長することができたのではと思います。そのうえ、先生のご指導を賜ったお蔭もあり、国際学会にて賞を受賞することもできました。この4月からは大学院にて研究分野を変えての生活が始まります。茨の道を歩むことになりますが本学の経験を活かし尽力して参ります。7年間ありがとうございました。
情報工学コース2年 宮内 篤矢
修了を迎えて
専攻科を修了し、7年間というこれまでで一番長い学校生活も終わりを迎えます。私はこの7年間、高専という特殊な環境の中で、勉強が好きな人、ゲームが好きな人、アニメが好きな人、プログラミングが好きな人など、様々な”面白い”人と出会えることができ、自分にとってとても良い経験となりました。
本科では、大学入試がない分、自由な時間が多くありました。そのため、様々な資格を取得することができました。また専攻科では、2年間というまとまった時間を使って、研究に励むことができました。研究に行き詰まったり、就職か進学で悩んだりする時期もありましたが、そのような経験も含め、この7年間を振り返るととても楽しかったです。
最後になりますが、今までお世話になった皆さんに感謝し、またお会いできることを楽しみにしています。
応用化学コース2年 寺門 侑真
茨城高専で学んだ7年間
茨城高専に入学してから今、振り返るとあっという間の7年間でした。高専で過ごす日々では本当に様々なことを経験し学ぶことができました。特に、専攻科での2年間は、特別研究を筆頭に授業やインターンシップ、進路の準備など、本科よりも濃密な日々を過ごしました。特別研究では、佐藤稔先生の研究室に入り、勉強や研究のことに限らず多くのご指導をいただきました。
遅い時間まで添削していただくなどご迷惑をかけ、心苦しい時もありましたが、先生のおかげで乗り越えることができました。また、進路やインターンシップでは神野河彩子先生に相談に乗っていただき、サポート頂きました。大変感謝しております。
コロナ禍で行事などが制限されましたが、その中でも明るい日々を過ごせました。7年間ありがとうございました。